“「はざまの国」の戦争と平和”

前略 歴史としてしまうには、ほんの昨日のできごとのようではあります。

 先の千年紀も終わりに近い1991年12月、東西冷戦終結後のヨーロッパの東のはずれ、ソ連崩壊後の西のさかいに生じた空白にウクライナという国が現われました。

 その広さはなんとヨーロッパ最大で、東の国境線は、冷戦に敗れて傷ついたロシアの脇腹を深く抉(えぐ)ります。しかも、そこに純粋にウクライナ的な人々と、ロシアとの絆をよすがとして生きる人々が混然として暮らします。そして、340年の長きにわたった「ロシアのくびき」から逃れるように独立しました。

 それだけで、このウクライナの誕生とその後が、冷戦終結後(この言葉自体、いまでは遠い響きになりました)のヨーロッパと、ソ連崩壊後のロシアの行方に関わる重大な火種になり得ることを知るのに十分でした。

 独立後、この国は西からヨーロッパ化の波が堰(せき)を切ったように押し寄せるなかで、かたや東へつなぎとめようとするロシアの思惑とのせめぎあいで揺れます。将来の欧州連合(EU)への加盟が人々の希望となる一方で、北大西洋条約機構(NATO)の東方への拡大は、ロシアの猜疑心を煽り、欧米世界に対する警戒心を呼び覚まします。

 いきおい政治は地政学的な選択と、民族主義の圧力に突き動かされて安定を欠きました。社会主義は歴史の遺物になりましたが、それに代わる新しい社会は実現されず、経済は豊かな可能性を生かせないまま低迷しました。
 やがて30年後、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始します。

 「はざまの国」の舵取りはむずかしい、とあらためて思います。
 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、この3年間におこなってきた講演活動の、いわば集大成として、母校早稲田大学の公開講座で 『誰にウクライナが救えるか-“はざまの国”の戦争と平和について考える』 というテーマで、11月から12月にかけて5回にわたって講演する予定です。

 ロシアとウクライナは、またどうしてこんなことになってしまったのか?
 ウクライナの人々のもとに平穏な日常が戻るのは、いったいいつのことなのか?
 あるいは、そもそもウクライナとはどういう国なのか?そして、ロシアはどこへ向かうのか?

 私が見てきた、ふたつの国のこの30有余年。「はざまの国」の地政学をタテ糸に、私自身の経験とエコノミストの視点をヨコ糸に、この戦争が問う意味とその奥行きを照らしてみたいと思います。同時にそれは、日本の「戦後80年」に寄せて、変わりゆく世界の「現在地」を直視することでもあります。

 [公開講座] 早稲田大学エクステンションセンター
 (➡詳細はこちら)

 ウクライナの安定はウクライナ人にしかできません。コウノトリが棲む国の「主体的な永世中立」という選択肢。ひとりでも多くの方々に宛ててお話したいと思っています。
 どうぞ宜しくお願いいたします。

 最後に、結城隆さんにお願いして、中国自動車産業の近況をレポートしていただきました(中国ウォッチ)。中国の電動車(EV)と自動運転テクノロジーは津波のように大陸を席巻しています。クルマが白物家電化する日も近いかもしれません。9月後半に中央アジアとコーカサスを旅する予定です。

 本オフィシャルサイトは、これまでお世話になった、あるいは一期一会のご縁に与かったすべての皆さまに宛てて、日頃のご無沙汰をお詫びしつつ、毎月1日にご挨拶に代えて更新しています。

 まだまだ暑い日々がつづきます。
 時節柄、くれぐれもご自愛くださいますように。

心をこめて

 2025年9月1日

西谷公明


街のカフェーで(2017年5月、キーウ)

“貧すれば、鈍す”

 暑中、お見舞い申し上げます。

 ウクライナは、財政の行き詰りと軍事面での劣勢に加えて、いよいよ「困った国」になりました。

 7月15日、最高会議は戒厳令と総動員令を11月5日まで延長する法案を採択。停戦も大統領選挙も遠のきました。
 つづいて17日、ズビリデンコ第一副首相兼経済相が首相に就任。
 新首相は、イェルマーク大統領府長官の子飼いの部下とも評されます(前々職はシビハ外相と同じく大統領府副長官)。戒厳令の延長とも併せ、イェルマーク&ゼレンスキー体制による「独裁」を懸念する声も上がりはじめました。
 最高会議の議員たちが一蓮托生であることは言うまでもありません。

 そして22日、ゼレンスキー大統領は刑事訴訟法を一部改正。汚職捜査のためのふたつの国家機関(国家反汚職局と反汚職特別検察局)の独立性を制限するための法案に署名します。ふたつの捜査機関は2014年2月のマイダン政変後に創設されて、数々の政府高官たちの汚職事件を手がけてきました。

 汚職捜査への「ロシアの浸透」を除去するためらしい。たしかにプーチンのロシアが、戦線が膠着するなかで情報戦をおこなって、ゼレンスキー政権の内部崩壊を狙っているとしても不思議ではありません。

 けれども、ロシアの浸透がどうであれ、ウクライナ政府高官の誰それが、合法・非合法を問わず、戒厳令のもとでいろいろな形で副収入を得て蓄財に励んでいる噂が絶えないのも事実です。捜査の矛先は、他ならぬ大統領府にも及んでいた、と英誌『エコノミスト』電子版(7月22日)は報じています。ゼレンスキー政権は、それを「行き過ぎ」として抑え込もうとしたのかもしれません。

 貧すれば鈍す、とも言います。残念なことに、この国は1991年12月の独立以来この方、そこだけは変わっていないようです。

 独立時、民族独立派は新しい国造りのスタートにおいて、公正な社会を実現するための構造改革の着手で躓きました。そして、この30有余年、この国の政治は少数のオリガルヒ(新興資本家たち)に支配され、貧しさは社会の腐敗を助長してきました。

 ところで、そういうお金の出処は、結局のところ何処なのか?

 多くの論者は、この戦争を侵略した側とされた側の対立軸で捉えて、ロシアの邪悪と戦渦のウクライナで暮らす人々の不幸と悲哀、あるいは強さ、国際社会の正義の在り処などを声高に論じます。

 もちろん、そのこと自体が間違っているとは思いません。しかしながら、私はそれにずっと違和感を覚えてきたひとりでもあります。

 私たちはウクライナという国に対し、支持と共感だけでなく、冷静で厳しい視点も併せ持つ必要があるのではないか、と思っています。2月以降、トランプ米政権による金融支援が止まったため、財政が行き詰っていることは先月の本サイトでも記しました。この先、日本が無邪気な正義顔で奉加帳を受け取らないことを願うばかりです。

 他方、いま、東部ウクライナの産業利権がどういう状態にあるか。その多くはロシアの支配下にあること以外、詳細は不明です。オリガルヒの消息も定かではありません。きっと彼らはヨーロッパかアメリカか、あるいはロシアか中東のどこかで鳴りをひそめ、事態の帰趨にじっと目を凝らしているにちがいありません。

 この戦争の終わり方には彼らの利権も絡むはずだ、と私はみています。

 こうして開戦後4回目の夏が過ぎていきます。
 貧すれば、鈍す。この言葉を「他山の石」と心得たいと思います。

 最後に、先月の本サイトでお知らせした良品計画顧問の金井政明さんとの対談『ブランド志向、大衆消費社会へのアンチテーゼ:堤清二の哲学に学ぶ』が、千葉テレビの公式YouTubeで公開されています。
 ご高覧ください (➡詳細はこちら)

 本オフィシャルサイトは、これまでお世話になった、あるいは一期一会のご縁に与かったすべての皆さまに宛てて、日頃のご無沙汰をお詫びしつつ、毎月1日にご挨拶に代えて更新しています。

心をこめて

 2025年8月1日

西谷公明


キーウ近郊のひまわり畑

プロフィール

西谷 公明(にしたに ともあき)

1953年生まれ

エコノミスト
(合社)N&Rアソシエイツ 代表

<略歴>

1980年 早稲田大学政治経済学部卒業

1984年 同大学院経済学研究科博士前期課程修了(国際経済論専攻)

1987年 (株)長銀総合研究所入社

1996年 在ウクライナ日本大使館専門調査員

1999年 帰任、退社。トヨタ自動車(株)入社

2004年 ロシアトヨタ社長、兼モスクワ駐在員室長

2009年 帰任後、BRロシア室長、海外渉外部主査などを経て

2013年 (株)国際経済研究所取締役・理事、シニア・フェロー

2018年 (合社)N&Rアソシエイツ設立、代表就任

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著 書

  • ウクライナ 通貨誕生-
    復 刊

    ウクライナ 通貨誕生-
    独立の命運を賭けた闘い

    岩波現代文庫、2023年1月

  • ロシアトヨタ戦記

    著 書

    ロシアトヨタ戦記

    中央公論新社、2021年12月

    詳細を見る

    目次

    プロローグ
    第一章 ロシア進出
    第二章 未成熟社会
    第三章 一燈を提げて行く
    間奏曲 シベリア鉄道紀行譚
    第四章 リーマンショック、その後
    エピローグ
    あとがき

  • ユーラシア・ダイナミズム-

    著 書

    ユーラシア・ダイナミズム-
    大陸の胎動を読み解く地政学

    ミネルヴァ書房、2019年10月

    詳細を見る

    目次

    関係地図
    はしがき-動態的ユーラシア試論
    序 説 モンゴル草原から見たユーラシア
    第一章 変貌するユーラシア
    第二章 シルクロード経済ベルトと中央アジア
    第三章 上海協力機構と西域
    第四章 ロシア、ユーラシア国家の命運
    第五章 胎動する大陸と海の日本
    主要参考文献
    あとがき
    索 引

  • 通貨誕生-ウクライナ独立を賭けた闘い

    著 書

    通貨誕生-
    ウクライナ独立を賭けた闘い

    都市出版、1994年3月

    詳細を見る

    目次

    はじめに
    序 章 ウクライナとの出会い
    第一章 ゼロからの国づくり
    第二章 金融のない世界
    第三章 インフレ下の風景
    第四章 地方周遊~東へ西へ
    第五章 ウクライナの悩み
    第六章 通貨確立への道
    第七章 石油は穀物より強し
    終 章 ドンバスの変心とガリツィアの不安
    後 記
    ウクライナ関係年表

研究調査

ロシア、ウクライナ研究をオリジナル・グラウンドとし、 ユーラシア全体をキャンバスとする広域的なテーマを中心にして実践的な研究調査をおこなっています。

講 演

「ロシアとウクライナ」を軸として、冷戦終結後の30年を振り返りつつ、(一社)内外情勢調査会をはじめさまざまな場所で、心に響く講演を心がけて発信しています。

西谷公明オフィシャルサイト
Tomoaki Nishitani official site

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