変わらない夢を見たがる者たち

 “シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
 変わらない夢を 流れに求めて ・・・”

 その波と戦うように、トランプ大統領の発言が大西洋上にこだまします。

 同大統領は、バイデン前政権が主導した「終わらない戦争」を終わらせるため、元締め同士の手打ちに乗り出しました。同時にヨーロッパの首脳たちに対し、自分がプーチン大統領と渡りをつけるので、あとのことはヨーロッパの問題としてやってくれ、と突き放しました。

 トランプ独善王による、まるで不動産ビジネスさながらの取引(ディール)外交に対しては、その危うさを懸念する声もあります。そして、なぜかその声は、同氏の発言を「ロシア寄り」と色付けして非難する怒りの合唱とも重なります。

 3年前の2月、ロシアはウクライナへ軍事侵攻し、冷戦終結後の世界に「乱世」を呼び込みました。それが自由と民主主義の超大国、アメリカの支配による「平和のルール」を真っ向から踏みにじる暴挙だったことは言うまでもありません。

 「力による領土の侵害を許してはならない」
 「ロシアに勝たせてはならない」
 「われわれの結束は揺るぎない」

 同じ3月、ベルギーで開かれた北大西洋条約機構(NATO)臨時首脳会議のテーブルで、バイデン氏は拳を振り下ろしながらそう述べて、西側有志国と大西洋同盟を糾合して未曽有の「ロシア征伐」に乗り出すのでした。

 もちろん、いかなる侵略行為も許してはなりません。けれども半面、アメリカの言う「正義」にも、いかがわしさが付きまといます。ウクライナを長い間見てきた私には、西側の主張は同時に、独立後の30年におけるふたつの出来事を想起させるものでもあるからです。

 2004年12月の「オレンジ革命」と、14年2月の「マイダン政変」が、それです。

 オレンジ革命は、当時旧ソ連諸国を席巻した「民主化」という名の、いわゆる「カラー革命」のひとつでしたが、投資家ジョージ・ソロス氏が興したオープン・ソサエティ財団や、全米民主主義基金はじめアメリカ国際開発庁(USAID)のもとで活動する団体が資金提供したことがさまざまに取沙汰されています。

 また、それから10年後に起きたマイダン政変にアメリカ政府が関与したことは、時のオバマ大統領自身も認めています。そして当時、副大統領としてウクライナ政策を担当していたのが、ジョー・バイデン氏その人に他なりません。政変後に誕生した親欧米のポロシェンコ政権に対する同氏の入れ込みようは、キーウ市民の間で広く知られるところでもありました。

 そして、このふたつの政変を経て、ウクライナは「独立宣言」(1991年8月24日採択)に謳った「中立」を撤回し(撤回そのものは、96年6月の新憲法採択時)、将来のNATO加盟を国家の進むべき道として憲法を改正して明記することになるのです(もっとも、憲法に規定すれば実現する、というわけでもなかったのですが)。

 トランプ大統領は、そもそもウクライナをNATO加盟へ向かわせたことが現下の戦争の引き金になったとして、バイデン前政権がおこなった政策をあっさり否定してみせました。

 それは次の3つのことを意味している、と私は見ています。

 1)トランプのアメリカは、ウクライナ問題への関与に見切りをつけて(帰趨はすでに決しています)、いわば一国単独主義へ大きく舵を切ったのだと思います。
 2)その先に見えるのは、米・中・ロの3大国が、力を背景にしてディールで仕切る世界なのかもしれません(結城隆さんの 『中国ウォッチ』 をご一読ください)。
 3)かたやこの戦争の終章は、大陸におけるロシアとヨーロッパ(ふたつの核保有国、英・仏)の間の安全保障をめぐる対立へフェーズを移しつつあります。

 そして、ドンバスの砲声はいまも続きます。
 “シュプレヒコールの波”は収まりそうもありません。

 最後に、ウクライナ戦争について、ふたつ寄稿しました。
 ・現代ビジネス 『ウクライナ戦争の終結に寄せる』(2月7日掲載) 詳細はこちら
 ・時事通信社コメントライナ 『ウクライナ戦争、終わり方の難しさ』(2月10日配信) 詳細はこちら
 ご笑覧いただければ幸いです。

 本オフィシャルサイトは、これまでお世話になった、あるいは一期一会のご縁にあずかったすべての皆さまに宛てて、日頃のご無沙汰をお詫びしつつ、月のはじめにご挨拶に代えて更新しています。

 春が、もうすぐそこです。時節柄、どうぞご自愛くださいますように。

心をこめて

 2025年3月1日

西谷公明


青空に冴える(石神井川沿いの小径にて)

ウクライナ戦争の終結に寄せる

 梅のつぼみがほころび始めました。春の訪れはもうすぐそこです。
 皆さまには、お変わりなく、ご清祥のこととお慶び申し上げます。

 (以下、少し長くなります)

 「われわれの成功は、戦争に勝利することだけでなく、戦争を終結させること、そして何よりも戦争に巻き込まれないことによって評価される。平和をもたらす調停者であり、統一者であることが、私が最も誇るべき実績となるだろう」

 去る1月20日の大統領就任式で、アメリカのトランプ新大統領はこう述べました。

 トランプ氏は、ウクライナ戦争を早期に終わらせると約束しています(「24時間で」が、「半年か、それより早く」と修正されはしたものの)。

 ただし、同氏の興味は戦争を終わらせること(=停戦)にあって、大西洋の向こうのウクライナの将来(=和平)にはありません。そもそもトランプ氏にとり、アメリカによるウクライナへの関与はバイデン父子マターでもありました。むしろ、関わりたくない、というのが本音ではないかと思います。冒頭の一節は、そう言っているように聞こえます。

 したがって停戦後、和平への方策は、ヨーロッパが解決すべき地域マターとして、欧州連合(EU)と欧州主要国に委ねられるでしょう。ちなみに、ヨーロッパにおけるトランプ氏の興味がデンマーク自治領のグリーンランド島にあることは、就任前に表明されて物議をかもしました。

 他方、「西側パートナー」に宛てて発せられるウクライナのゼレンスキー大統領の主張は、トランプ旋風にかき消されて弱々しくこだまするのみです。いまのヨーロッパ主要国に、グローバル大国アメリカの不在を補って、ウクライナを単独で後押ししていくだけの力は政治的にも経済的にもありません。

 ゼレンスキー氏にとり、銃もパンも支援頼みの戦争には、はじめから限りがありました。時間がロシアに味方すると、これまで何度も言われてきたのも、そのためでした。
 欧米製の高性能の戦車や戦闘機、ミサイルの供与が止まれば、ウクライナは戦えませんし、イーロン・マスク氏がスターリンクへの接続を止めれば、自慢のドローンも飛ばせません。
 そのうえ、財政援助まで止まれば、国家としての諸機能そのものが麻痺します。

 そのことだけで、戦争の帰趨はすでに決しているも同然です。したがってトランプ大統領にとり、戦争を終わらせるための必要条件は、ロシアのプーチン大統領に、これ以上の侵略をいかにして諦めさせるか、という一点に絞られます。ディール(取り引き)の相手が、第一にロシア、第二にEUと北大西洋条約機構(NATO)構成国となるのもトランプ流のリアルな割り切りなのだろうと思います。

 ゼレンスキー大統領自身も、いずれ進退を問われることになるでしょう。戒厳令下、大統領の任期は延長され、最高会議(ロシア革命による混乱期にいっとき樹立されたコサック国家の伝統を引き継いだ一院制の評議会)の選挙も延期されてきました。アメリカと西側は、これまであえてそれを不問に付してきました。

 しかしながら、いったん停戦となれば、戒厳令を解除しなければなりません(現在の戒厳令の期限は5月7日まで)。動員令も解除されて、早晩、大統領選挙が実施されることになるでしょう。この30年、ウクライナの政治は少数のオリガルヒ(巨大財閥)に支配されて、国民生活の向上には失敗しましたが、それでも選挙だけはふつうにおこなわれてきたのがこの国の良いところでもありました。

 ただし、停戦後の国の安全が保障されないことを理由に、ゼレンスキー大統領と急進的な民族主義者たちがロシアへの抵抗をやめない(戒厳令が解除されない)可能性もありえます。

 ロシアによる侵攻がはじまった2022年2月から24年12月までに、西側はウクライナに対して1760億ドル(約27兆円)の軍事支援と、1110億ドル(17兆円)の財政支援(人道支援を含む)をしてきました(独キール世界経済研究所調べ)。その総額は、同じ3年間におけるウクライナの国内総生産(名目GDP)の総額約5200億ドルの55%以上に相当します。

 国家は時として、それ自体が巨大な利権の塊(かたまり)となりえます。ゼレンスキー大統領はロシアとの戦争をテコにして国民をひとつにまとめてきました。エマニュエル・トッド氏が言うように、この3年間、ロシアとの戦争自体が国家の存在理由と化した感すらありました(『西洋の敗北』)。それを支えた軍事・財政両面での支援という名の莫大な利権がなくなろうとしています。

 この戦争の終わり方のむずかしさの一面は、その点にあるのかもしれません。ヨーロッパは、ひきつづき厄介な問題を抱え込むことになりそうです(日本も蚊帳の外ではありません)。

 30年ほど前、ウクライナ最高会議経済改革管理委員会での半年間の調査を終えて帰国すると、私は旅の報告を一冊の本にしたためました。拙著『通貨誕生-ウクライナ独立を賭けた闘い』(1994年3月、都市出版刊。2023年1月、岩波現代文庫から『ウクライナ 通貨誕生-独立の命運を賭けた闘い』として復刊)がそれです。

 その「あとがき」を、次の一節で締めくくりました。  

「だが、本書で描きたかったのは、実はウクライナそのものではない。私が書きたかったのは、ウクライナという鏡に映ったロシアの姿だ。自らは炎の中にありながら、小さな隣国の首をじわじわと締め上げいる、そういうロシアの矛盾についてだ。あるいは、ウクライナはついに安定した国家を形成できないままに息絶え、再びロシアという大きな影に呑まれてしまうのだろうか」

 この問いかけは、いまも新鮮さを失っていません。
 プーチン大統領は攻撃の手をゆるめていません。そして、停戦への時間がかかれば、ウクライナは財政的にもいっそう窮していくはずです。

 ウクライナという国がこの先どうなっていくか。そこは定かではありません。
 おそらく、将来のNATO加盟は約束されないでしょう。それでも、この国が「ロシアのくびき」を断ち切って、かつ汚職のない公正な社会をめざして、晴れてEUの一員として迎えられる日が来るのか。
 ウクライナ国民の強さが試されるのは、むしろこれからなのだと思っています。





 最後に、私事になります。

 不覚にも膝を強打し、皿を割りました。
 手術室で麻酔医から、
 「点滴で麻酔薬を入れますが、少し痛いかも・・・」
 と言われ・・・
 「なぜですか」と理由を訊こうと話しかけたら、
 「終わりました」と執刀医の声が聞こえました。
 なんと病室に戻っていました。なんだかキツネにつままれたようでショックでした。

 35歳の整形外科医をはじめ、おおぜいの若い医療従事者の皆さんに助けられました。感謝の一語に尽きます。
 また手術前に、1月と2月の予定をすべてキャンセルさせていただきました。この場を借りてお詫び申し上げる次第です。





 本オフィシャルサイトは、これまでお世話になった、あるいは一期一会のご縁にあずかったすべての皆さまに宛てて、日頃のご無沙汰をお詫びしつつ、月のはじめにご挨拶に代えて更新しています。
 時節柄、どうぞご自愛くださいますように。

心をこめて

 2025年2月1日

西谷公明


コロナ禍が過ぎて落ち着きを取り戻した病棟の午後

プロフィール

西谷 公明(にしたに ともあき)

1953年生まれ

エコノミスト
(合社)N&Rアソシエイツ 代表

<略歴>

1980年 早稲田大学政治経済学部卒業

1984年 同大学院経済学研究科博士前期課程修了(国際経済論専攻)

1987年 (株)長銀総合研究所入社

1996年 在ウクライナ日本大使館専門調査員

1999年 帰任、退社。トヨタ自動車(株)入社

2004年 ロシアトヨタ社長、兼モスクワ駐在員室長

2009年 帰任後、BRロシア室長、海外渉外部主査などを経て

2013年 (株)国際経済研究所取締役・理事、シニア・フェロー

2018年 (合社)N&Rアソシエイツ設立、代表就任

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著 書

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    ウクライナ 通貨誕生-
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    岩波現代文庫、2023年1月

  • ロシアトヨタ戦記

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    中央公論新社、2021年12月

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    エピローグ
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    大陸の胎動を読み解く地政学

    ミネルヴァ書房、2019年10月

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    関係地図
    はしがき-動態的ユーラシア試論
    序 説 モンゴル草原から見たユーラシア
    第一章 変貌するユーラシア
    第二章 シルクロード経済ベルトと中央アジア
    第三章 上海協力機構と西域
    第四章 ロシア、ユーラシア国家の命運
    第五章 胎動する大陸と海の日本
    主要参考文献
    あとがき
    索 引

  • 通貨誕生-ウクライナ独立を賭けた闘い

    著 書

    通貨誕生-
    ウクライナ独立を賭けた闘い

    都市出版、1994年3月

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    目次

    はじめに
    序 章 ウクライナとの出会い
    第一章 ゼロからの国づくり
    第二章 金融のない世界
    第三章 インフレ下の風景
    第四章 地方周遊~東へ西へ
    第五章 ウクライナの悩み
    第六章 通貨確立への道
    第七章 石油は穀物より強し
    終 章 ドンバスの変心とガリツィアの不安
    後 記
    ウクライナ関係年表

研究調査

ロシア、ウクライナ研究をオリジナル・グラウンドとし、 ユーラシア全体をキャンバスとする広域的なテーマを中心にして実践的な研究調査をおこなっています。

講 演

「ロシアとウクライナ」を軸として、冷戦終結後の30年を振り返りつつ、(一社)内外情勢調査会をはじめさまざまな場所で、心に響く講演を心がけて発信しています。

西谷公明オフィシャルサイト
Tomoaki Nishitani official site

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