“ロシアの主張と真摯に向きあう時”

前略 梅雨の候。
皆さまには、つつがなくお過ごしのことと拝察します。

 元外交官の東郷和彦さんが、「ウクライナ和平の動向」と題して、『魚の目』 (ノンフィクションライターの魚住昭氏が主宰するウェブマガジン)に連載で寄稿されています。
 トランプ2.0がスタートした1月20日を起点とし、外交による停戦・和平への道筋をなぞりつつ、節目ごとのできごとを公開資料に基づいて記録に残そうとしておられます。

 東郷さんが、かつて日本の対ロシア外交の最前線で活躍されたことは言うまでもありません。
 私は30年以上前、当時在ロシア日本大使館で次席公使をされていた同氏とウクライナの首都キーウではじめてお会いし、その後、在ウクライナ日本大使館で専門調査員として勤務していた時期、外務省の欧亜局審議官だった同氏に大変お世話になりました。

 メディア空間では、ウクライナ戦争を、2022年2月末のロシアによるウクライナ侵攻を起点に論じることが一般的です。いきおいウクライナについてあまり知らない人たちが、「侵略戦争」という切り口で、また判官贔屓(びいき)の国民性もあり、ロシアの邪悪と、戦渦のウクライナで暮らす人々の不幸と悲哀、あるいは強さ、国際社会の正義を声高に論じることが主流となりました。

 もちろん、そのこと自体が間違っているとは思いません。
 が、私はそれにずっと違和感を覚えてきたひとりでもあります。

 連載第15回(5月21日掲載)の副題は、「プーチンに生まれた1インチの優位」でした。東郷さんは、5月半ばにトルコのイスタンブールを舞台に演じられたロシアとウクライナの鍔(つば)ぜり合いに触れるなかで、日本のメディアの報道と専門家による解説を批判しています。  

 「15日および16日夜の日本のテレビ放送の解説では、筆者がフォローしたかぎり、どのコメンテーターからも、22年イスタンブール合意が仮調印までいった貴重な合意だったにもかかわらず、英・米の介入によって崩れたという、いまや公知の歴史的真実を報道するところはなかった。とても残念なことに思える」

 ロシアがウクライナへ軍事侵攻してまもない22年3月末のこと。
 当時、イスタンブールでおこなわれた停戦協議が大詰めを迎えた段階でつぶれた背景に、ジョンソン英首相とバイデン米大統領(ともに当時)による抗戦継続への助言がありました。
 その事情を23年11月、停戦協議でウクライナ交渉団の代表をつとめたD.アルハミヤ氏(ゼレンスキー政権与党の議会代表でもある)が現地紙のインタビューで明らかにしています。

 「我々がイスタンブールから戻った後、ボリス・ジョンソンが4月9日にキーウへ到着した。彼は、『我々は(ロシアと)何ひとつ協定を締結するつもりはない。戦いを続けるべきだ』 と言った」(Ukrainska Pravda, Nov.24 ‘23)。

 ちなみに、ジョンソン元首相はこれに反論しますが、この事実は米紙記者の調査によっても明らかにされています(WSJ, Jan.5 ‘24)。

 ウクライナによる抗戦はその後、米・英 vs ロシアの代理戦争へと位相を変えました。22年春以降、アメリカとイギリスがどのようにウクライナに対する軍事支援を本格化させていったかは、先月の本サイトでとりあげた米紙ニューヨーク・タイムズの記事へと時系列で続きます。

 さて、1999年に専門調査員の任期を終えてウクライナから帰国した後、私はトヨタ自動車へ入社します。東郷さんが、かの鈴木宗男事件のさなかにオランダ大使としてデン・ハーグへ赴任するも、2002年に同事件とのからみで罷免されたことを、私は風の便りで知りました。

 そして、それから長い時間を経た2013年のある日、日本国際フォーラムの故伊藤憲一氏が主宰する懇話会で同氏と遭遇し、久しいご無沙汰をお詫びしつつ、旧交を温めることになるのでした。
 同氏がオランダから日本へ帰ることなく(検察による身柄の拘束を怖れた由)、知己を頼りに欧米やアジアの大学を流々転々とし、研究者として武者修行を積まれたこともそのとき知りました。

 この戦争は、代理戦争の当事者だったアメリカが調停者として立場をひるがえしたことにより、梯子を外された形のウクライナとヨーロッパ主要国が、ロシアとのあいだで停戦への主導権を競い合う情報戦の様相を呈しています。

 ロシアを「邪悪な国」としてただ拒むのではなく、私たちはロシアの主張に対しても、いま一度真摯に向き合う必要があるのではないか。日本政府には、そういう役割を果たして欲しい。東郷さんの論考を読んでの感想です。
 (東郷和彦氏の論考は、こちら

 時節柄、どうぞご自愛くださいますように。

心をこめて

 2025年6月1日

西谷公明


商店街を彩る花屋の店先

“パートナーシップ:ウクライナ戦争秘史”

前略 新緑の候。
皆様にはお変わりなく、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

早速ですが・・・。

 「これは、ロシアの侵略軍に対するウクライナの軍事作戦をめぐる、アメリカの隠された役割についての語られざる物語である」

 アメリカは、いかにしてこの戦争を指揮・指導し、操作し、ついに失敗したか。「パートナーシップ」と題する長文レポート(米ニューヨーク・タイムズ電子版 3月29日付、アダム・エントス記者)は、世界300名におよぶ関係者へのインタビューにより、細部までそれを明るみに出して衝撃的です。

 物語は、まずF.フォーサイスのスパイ小説さながら、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2ヵ月後の2022年春のある朝、キーウの街角に覆面車列が滑り込んで、ふたりの紳士をひろうシーンから始まります。

 平服姿のふたりのウクライナ軍人は、イギリス軍特殊部隊に警護されて西ウクライナへ向かい、車内で外交官パスポートを渡されてポーランド国境を越え、ドイツのヴィースバーデンにある米軍ヨーロッパ・アフリカ本部のクレイ・カゼルネへ案内されます。

 そして、そこで彼らを迎えた米軍第18空挺師団司令官のC.ドナヒュー将軍との出会いが、その後秘かに始まる情報、作戦、計画、技術におけるパートナーシップを約束することになるのでした。

 「『ニューヨーク・タイムズ』 紙の調査によれば、アメリカはこれまで理解されていたよりもはるかに緊密かつ広範に戦争に巻き込まれていたことが明らかになった。重大な局面で、このパートナーシップはウクライナの軍事作戦の屋台骨となった。ヴィースバーデンの作戦司令部では、米軍将校とウクライナ軍将校が肩をならべて作戦を立案した。アメリカの厖大な諜報力は、戦闘全体の大局的戦略の指針になるとともに、的確な標的情報を前線のウクライナ兵に伝えた」

 ヨーロッパの諜報機関のある責任者は、NATOの同僚がウクライナにおける作戦にこれほど深く関わっていることを知って驚愕したと振り返り、「彼らは、いまや『キル・チェーン』(殺しの鎖)の一部だ」 と語っています。

 そして記事は、こう続けます。

 「ある意味で、ウクライナは1960年代のベトナム、1980年代のアフガニスタン、そして30年後のシリアというように、米ロの代理戦争の長い歴史における再戦でもあったのだ」

 参考まで、同記事の全文コピーを添付します。 詳細はこちら
 ちなみに同紙はこれまでにも、CIAが2014年のマイダン政変後、ウクライナ東部の12ヵ所に秘密の直轄基地を設けてウクライナ紛争に初期から関与し、情報幹部を養成してきたことなどを明らかにしています(2023年2月28日付)。

 この3年間、バイデン米前大統領と西側は「ロシアに勝たせてはならない」と主張して、ウクライナが勝利すること以外に、この戦争を終える見通しを持ち得ませんでした。半面、それはアメリカと西側自身が、ウクライナを限りなく支援しつづけることで事実上、この戦争の間接的な当事者になりかわっていた事情を物語ります。

 つまり、西側の政治リーダーたちは、価値観外交の呪縛から逃れられなかった。

 他方、ウクライナの現実は、すでに十分煮詰まっています。それでもこの国が国家として生き永らえていられるのは、ひとえに日本を含む西側ドナーによる「財政支援」という名の「輸血」が施されてきたためでした(下図を参照)。

 果たして、トランプ米大統領による停戦の試み(はっきり言うと、「損切り」です)が、公約どおり半年以内に成就するか。それは、どちらでもよいことです。戦争は、もう終わったのです。そしてプーチンのロシアは5月9日、対ナチス戦勝80周年記念日を迎えます。視線を「ウクライナ戦争後」へ向けるべき時です。

 本オフィシャルサイトは、これまでお世話になった、あるいは一期一会のご縁に与かったすべての皆さまに宛てて、日頃のご無沙汰をお詫びしつつ、毎月1日にご挨拶に代えて更新しています。

 少し長くなりました。
 時節柄、どうぞご自愛くださいますように。

心をこめて

 2025年5月1日

西谷公明


新緑の東板橋公園

プロフィール

西谷 公明(にしたに ともあき)

1953年生まれ

エコノミスト
(合社)N&Rアソシエイツ 代表

<略歴>

1980年 早稲田大学政治経済学部卒業

1984年 同大学院経済学研究科博士前期課程修了(国際経済論専攻)

1987年 (株)長銀総合研究所入社

1996年 在ウクライナ日本大使館専門調査員

1999年 帰任、退社。トヨタ自動車(株)入社

2004年 ロシアトヨタ社長、兼モスクワ駐在員室長

2009年 帰任後、BRロシア室長、海外渉外部主査などを経て

2013年 (株)国際経済研究所取締役・理事、シニア・フェロー

2018年 (合社)N&Rアソシエイツ設立、代表就任

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    ウクライナ、見えない戦いの最終章

    時事通信『コメントライナー』 2025年4月21日

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著 書

  • ウクライナ 通貨誕生-
    復 刊

    ウクライナ 通貨誕生-
    独立の命運を賭けた闘い

    岩波現代文庫、2023年1月

  • ロシアトヨタ戦記

    著 書

    ロシアトヨタ戦記

    中央公論新社、2021年12月

    詳細を見る

    目次

    プロローグ
    第一章 ロシア進出
    第二章 未成熟社会
    第三章 一燈を提げて行く
    間奏曲 シベリア鉄道紀行譚
    第四章 リーマンショック、その後
    エピローグ
    あとがき

  • ユーラシア・ダイナミズム-

    著 書

    ユーラシア・ダイナミズム-
    大陸の胎動を読み解く地政学

    ミネルヴァ書房、2019年10月

    詳細を見る

    目次

    関係地図
    はしがき-動態的ユーラシア試論
    序 説 モンゴル草原から見たユーラシア
    第一章 変貌するユーラシア
    第二章 シルクロード経済ベルトと中央アジア
    第三章 上海協力機構と西域
    第四章 ロシア、ユーラシア国家の命運
    第五章 胎動する大陸と海の日本
    主要参考文献
    あとがき
    索 引

  • 通貨誕生-ウクライナ独立を賭けた闘い

    著 書

    通貨誕生-
    ウクライナ独立を賭けた闘い

    都市出版、1994年3月

    詳細を見る

    目次

    はじめに
    序 章 ウクライナとの出会い
    第一章 ゼロからの国づくり
    第二章 金融のない世界
    第三章 インフレ下の風景
    第四章 地方周遊~東へ西へ
    第五章 ウクライナの悩み
    第六章 通貨確立への道
    第七章 石油は穀物より強し
    終 章 ドンバスの変心とガリツィアの不安
    後 記
    ウクライナ関係年表

研究調査

ロシア、ウクライナ研究をオリジナル・グラウンドとし、 ユーラシア全体をキャンバスとする広域的なテーマを中心にして実践的な研究調査をおこなっています。

講 演

「ロシアとウクライナ」を軸として、冷戦終結後の30年を振り返りつつ、(一社)内外情勢調査会をはじめさまざまな場所で、心に響く講演を心がけて発信しています。

西谷公明オフィシャルサイト
Tomoaki Nishitani official site

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